🇯🇵 海外で茶道を学び直して気づいた、日本文化の魅力と意義
私は小学生の頃から高校生まで、茶道を習っていました。
大学進学で上京してからは、忙しさやサークル活動の楽しさもあり、だんだん足が遠のいてしまっていました。それでも時間があるときにはお茶会に参加したりと、どこかでずっと、茶道とつながっていたい気持ちは持ち続けていました。
社会人になってからは、仕事の忙しさに追われ、茶道を続ける余裕すらなくなっていた私。
けれどカナダに移住してから、素敵な先生との出会いをきっかけに、再び稽古を始めることができました。
大人になってから気づいた「茶道の楽しさ」
子どもの頃には分からなかった、茶道の奥深さ。
大人になってから学び直してみると、その所作の一つひとつに、意味と美しさが込められていることに改めて気づかされました。
カナダでは、稽古に必要な道具やお菓子を揃えるのも簡単ではありません。
それでも先生は、日本から持ち帰った道具を丁寧に扱い、ときには手作りのお菓子で稽古を続けてくださいます。
「あるのが当たり前」だった日本の便利さに、ここで初めて感謝の気持ちを持てるようになったのも、茶道を通して得られた学びのひとつです。
茶道は、日本文化の集大成
茶道は、ただお茶を点てるだけの習い事ではありません。
掛け軸や生け花のしつらえ、道具の扱い方、季節の演出──
一つの空間を通して「お客様をどう楽しませるか」を追求する、まさに日本のおもてなしの真髄です。
お点前の所作には、すべて意味があります。効率や合理性を求めるものではなく、「丁寧に、思いを込めて」行うことそのものが美しさになる──
そんな文化に触れることで、目には見えない“心のゆとり”を取り戻せたような気がしています。
海外で気づいた、日本文化の価値
日本にいた頃、私はつい周りに気を使いすぎて、自分のことを後回しにしていました。
それが普通だと思っていたけれど、カナダに来てからは、肩の力を抜いて人と接することの大切さや、自分らしさを受け入れる自由を知りました。
だからといって、日本の文化を手放したいとは思いません。
むしろ、他国で暮らしているからこそ、日本文化の魅力や奥深さを実感するようになったのです。
文化を大切にすることへの、誤解や偏見
たまにSNSなどで、外国に住む人々に対して「そんなに自国の文化が好きなら帰ればいいのに」といった声を目にすることがあります。
これは特定の国や日本人に限らず、世界中のあらゆる国に住む“外国人”に対して向けられることがある言葉です。私自身、海外に暮らす一人として、そんなコメントを見たときに、どこか自分にも向けられているような気持ちになることがあります。
でも、本当に大切なのは「今、自分がいる場所に敬意を払うこと」と「自分のルーツを忘れないこと」の両立だと思っています。
他国の文化を尊重することと、自分の文化を大切にすることは、相反することではありません。むしろ、お互いを知り、尊重し合えることが、多様な社会において豊かさを生むのではないでしょうか。
おわりに
私は、海外に住んでいるからこそ見えてきた日本文化の良さを、これからも大切にしていきたいと思っています。
茶道を通して得た学びは、ただの伝統ではなく「人としてどう在りたいか」を問い直す時間でもありました。
忙しさに流されていた日々の中で、少し立ち止まって、丁寧に人と関わること。
それがどんなに尊いことなのか──
そんな気づきを、また次の世代に繋いでいけたらいいなと思います。


コメント