キャラにこだわるより、柔軟さを大切に
「自分らしさ」って何だろう?
大切なのは、自分のキャラクターを頑なに守ることではなく、状況に応じて柔軟に対応することだと私は思います。
「私はこういう人だから」では済まされない
先日、友人のかほちゃんからこんな話を聞きました。
彼女は資格試験のため、同じ専門学校のクラスメイト2人と数泊の遠征に行きました。ところが、旅先でその2人の間に深刻なトラブルが起こってしまったのです。
AさんがBさんの勉強に対する態度を「舐めてる」と感じ、無視や嫌味を言い始めたのだそうです。かほちゃんに対してはどちらも普通に接していましたが、互いには一切会話なし。張り詰めた空気の中、数日間を過ごすことになりました。
Aさんは普段から「私ははっきりした性格だから」と言って、思ったことをすぐ口に出すタイプだったそうです。そして旅行の最終日、Bさんが泣いていた理由を聞くと、「かほちゃんがいないときに、Aさんからきつい言葉を浴びせられた」と。
もともとは仲の良い2人だったのに、なぜこんなことに…
帰ってきたかほちゃんは「まるで地獄のようだった」と語っていました。
「自分らしさ」に酔っていないか?
この話から私が感じたのは、
「はっきりしている」「サバサバしている」などの自己認識が、他人を傷つける免罪符になってはいけないということです。
確かに、自分の性格を理解することは大切です。
でも、それを盾にして攻撃的な言動を正当化したり、人間関係を壊すような行動をとっているなら、それはただの自己中心的なキャラ酔いだと思います。
はっきりした性格でも、周囲への配慮を忘れない人はたくさんいます。
例えば、嫌なことをはっきり断ったり、好きなことは素直に表現したり、そういった自己表現をしながらも相手の気持ちに寄り添った伝え方ができる人が理想的です。私たちが目指すべきは、きっとそんなバランスの取れた姿だと思うのです。
キャラ付けは便利な言い訳になりがち
別の例では、私の先輩の知人に「自分はコミュ障だから」「人に興味がないから」と開き直って、周囲を困らせている人がいるそうです。
会話の場では、「それって何が面白いの?」などと冷めたコメントをして場をしらけさせるのに、自分から話そうともしない。
結局、「こういう自分だから」と言い訳して、相手への配慮を放棄しているだけのように見えてしまいます。
想像力を持てば、心はもっと楽になる
「相手の立場に立って考えましょう」
これは小学生のころから習ってきた、すごく基本的なことですよね。
でも、実際には大人になってからの方が、それができていない場面をよく見かけます。
たとえば、恋人から数時間返信がないだけで「嫌われたのでは」「浮気では」と不安になることがあります。
でも、自分だって仕事や試験で返信できないときがあるはず。
自分にはできる想像が、なぜか相手になるとできなくなってしまう。そういうこと、ありませんか?
また、ちょっとした一言に過剰に反応して落ち込んだり怒ったりしてしまう。でも実は、相手も疲れていてうっかり配慮を欠いてしまっただけかもしれません。
物事の裏側には、いろんな背景があります。
勝手に決めつけるのではなく、「もしかしたらこうかもしれない」と想像する余白を持つことで、感情に振り回されにくくなります。
自分を特別扱いしないという選択
私たちは皆、社会の中で生きています。
誰かと関わらずに1人で生きることはできません。
だからこそ、自分に対するキャラ付けや言い訳をやめて、どうやって人と関わっていくかを大切にしたい。
相手を理解しようとする姿勢や、思いやりを持った行動が、自分自身をも救ってくれることがあると思います。
柔軟に、そして誠実に。
そうやって築いた関係は、きっと自分の人生をもっと豊かにしてくれるはずです。



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