ないものねだり。海外生活で恋しくなる日本のラーメン

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海外に住んでから芽生えた家系ラーメン愛

ここ数ヶ月、もしかするともう一年ほどかもしれません。ずっと家系ラーメンが食べたくてたまりませんでした。インスタグラムでは、ひたすらラーメンを食べている動画がよく流れてきます。私がラーメンを食べたい気持ちで見てしまっているからなのか、それとも見ているから食べたくなってしまうのか……因果関係はよくわかりません。

カナダに住んでからというもの、日本にいた頃よりもラーメンが好きになった気がします。しかし、家系ラーメンはこちらではほとんど見かけません。インスタで見かける家系ラーメンは、太麺でボリューム満点。とても美味しそうに見えるのです。

手に入りにくいものほど恋しくなる不思議

実は日本に住んでいた頃は、家系ラーメンをほとんど食べていませんでした。食べても数回程度。決して好んで食べていたわけではありません。それなのに、今は無性に食べたくて仕方がないのです。

これは、簡単に手に入らないものほど欲しくなる現象なのだと思います。日本では身近にありすぎて気にも留めなかったものが、海外にいる今はとても魅力的に映るのです。

日本に一時帰国した際は、食べたかったセブンの冷やし中華やローソンの春巻き、おでん、お蕎麦、つけ麺、コンビニスイーツまで、あれこれ欲張って1週間で詰め込みました。お腹の調子がずっと悪かったのは言うまでもありません。

ただ、久々にありついたそれらの味は、思っていたよりも「普通」でした。長く離れていたことで、知らず知らずのうちに美化してしまっていたようです。

友人との再会が教えてくれたこと

日本を訪れるたびに、私は友人たちとの再会を楽しみにしています。カナダではなかなか会えない分、できるだけ予定を合わせて会おうとします。

ある日、友人二人と食事をしたとき、その友人同士も「前回私が帰国したとき以来の再会」だと言っていました。なんだか不思議な気持ちになりました。

私は、いつも「すぐに会えない」からこそ会いたくなるのだと思います。でも、距離が近くなり「また今度会えばいい」と思える関係になると、逆に会う機会は減ってしまうのかもしれません。

きっと、私がいつかカナダを離れることがあったら、今度はカナダに住む友人たちと、再訪のたびに再会を喜ぶようになるのだと思います。

別れの種類と、心の距離

「次にいつ会えるかわからない別れ」と、「またすぐ会える別れ」は、心に残る重さが違います。

日本で友人たちと再会したあと、別れ際にふと寂しさがこみあげてきます。「またすぐに会えない」と思うと、自然と涙が出そうになるのです。

距離が離れているからこそ、身近な存在の大切さや、出会いのありがたみを再認識させられます。家系ラーメンも、友人も、簡単に手に入らないからこそ、特別に思えるのかもしれません。

まとめ:距離が気づかせてくれる、本当の「好き」

海外生活をしていると、身近だったもののありがたさをあらためて感じる瞬間があります。ラーメンやコンビニごはんのような日常の味も、いつでも会えると思っていた友人たちとの時間も。

手に入りにくいからこそ、その価値がはっきりと見えてくる。そんな感覚が、少しずつ私の心を成長させてくれているような気がします。

また日本に帰ったときには、家系ラーメンをすすりながら、会いたい人たちにたくさん会いに行こうと思います。

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