友人の旅立ちと、心に残る想い
先日、友人が亡くなりました。小学校からの同級生で、31歳という若さでした。
昔から変わらず誰にでも優しい子で、私が上京してからも、帰省のたびに彼女は時間を作って会ってくれました。
最後に会ったのは一年ちょっと前のことで、その時には二人目のお子さんの出産を、たしか2週間後に控えていたと思います。
その日は彼女のご主人も含め、小中の友人たち数人でランチに行きました。
一人目のお子さんも一緒で、とても幸せで楽しい時間を過ごしました。まるで定期的に集まる同級会のような雰囲気でした。
その後、私は他の友人たちとも会ったりして、住んでいるカナダに戻りました。
お子さんは順調に生まれたのだろうと勝手に思い込み、特に心配もしていませんでした。
彼女自身も「今回は二人目だから、あんまり緊張していない。たぶん余裕」などと言っていて、リラックスした様子でした。
突然の知らせ
それから2ヶ月ほど経った頃、同じグループの中でも特に仲の良い友人(以下Aさん)から連絡がありました。
「彼女の出産がうまくいかず、植物状態になっている」という、とても衝撃的な内容でした。
医師の話によると、意識の回復は難しいとのことでした。
まったく予想もしていなかった知らせに、私は大きな衝撃を受けました。
「誰もこんなことになるとは思っていなかった」と、Aさんも話していました。
この文章を書いている今でさえ、どこか信じられない気持ちが消えません。
その後もAさんは、彼女の容態について定期的に知らせてくれました。
家族しか面会が許されておらず、近くに住んでいるAさんたちですら会いに行けませんでしたが、ご主人を通じて状況を知ることができました。
眼球が動いたり、指がぴくっと動いたりすることはあっても、それでも目を覚ます見込みはないと医師からは言われていたそうです。
小さな希望と別れ
彼女が1年以上植物状態であったとはいえ、きっと誰もが、いつかは目を覚ますのではないかと、心のどこかで期待していたのではないかと思います。
しかし徐々に内臓の機能は低下していき、彼女は二度と目を覚ますことはありませんでした。
訃報を受けたのは、ちょうど私が以前から計画していたヨーロッパ旅行から帰ってきたタイミングでした。
彼女は自宅に戻り、数日間家族と過ごしたあと、式場に移されたと聞きました。
日本に住んでいれば、彼女のご自宅を訪れることもできたと思います。しかし数日のうちにカナダから日本へ突然ワープすることはできませんでした。
葬儀までは1週間ほどの猶予があり、その間に日本へ行くべきかどうか悩みました。
この年齢で友人が亡くなるのは初めてのことで、どうすればよいのか、正解がわかりませんでした。
迷いと決断
インターネットでは「弔い方は人それぞれで、やむを得ず葬儀に行けないことも仕方ない」といった意見を見かけました。
仕事もありますし、日本へ行くには時間もお金もかかります。無理して行くのは現実的ではないと判断しました。
母やAさんとも相談し、8月のお盆に合わせて帰省し、お線香をあげに行くことに決めました。
決断したはずなのに、何度もこれでよかったのかと自問自答しました。
本当は、すぐにでも駆けつけたかったのです。
突然、まったく予想していなかった形でこの世を去ってしまった彼女のことを思うと、涙が止まりませんでした。
私が行ったところで何かが変わるわけではないと分かっていながら、どうしてもなにかしなければいけない気持ちに駆られていました。
最後の手紙
最後に会ったとき、彼女はとても幸せそうでした。
きっと、数週間後に自分の人生が終わりを迎えるなんて、彼女自身も思ってもいなかったことでしょう。
私があの日、なにか一つでも彼女の行動が変わるようなことをしていたら?
少しでも歯車が違っていたら?
と、まるでSF映画のような妄想をしてしまいます。それほど彼女の死は突然で、信じがたいものでした。
葬儀に参列できなかった私は、せめてもの弔いとして手紙を書くことにしました。
カナダでは気軽にスキャンなどできないため、スマホアプリで手紙をスキャンし、母に送り、印刷して封筒に入れてもらいました。
届いた想い
葬儀が終わり、火葬場に向かう途中でAさんから連絡がありました。
「これから火葬場に行くところだよ。よひらの手紙、ちゃんと彼女のもとに届いたよ」とのことでした。
まさかの展開でしたが、前日に母が友人のお母様に手紙を渡してくれ、それが葬儀の場で読まれたと聞きました。
手紙を書いてよかったという安堵、そして本当に大切な友人が焼かれてしまうという切なさ、さまざまな気持ちが込み上げてきました。
友人のお母様は「一年以上も目覚めない彼女を見るのが辛くて、やっと天国に行けてホッとした」と語っていたそうです。
私は手紙の中で、ご家族の悲しみを思いやろうと必死でした。
だからこそ、「ホッとした」という言葉が出てくるとは思っておらず、手紙に間違ったことを書いてしまったのではないかと考えてしまいました。
けれど、少しでも彼女への想いが伝えられたことで、私自身も少し救われたように感じました。
これからの日々に
お盆には、ようやく彼女のご家族にご挨拶に行くことができます。
やっと本当の意味で彼女を弔うことができるのではないかと、そう思っています。
カナダでの生活は好きです。自分らしく生きていると感じる日々です。
でも、大切な人に何かが起きたとき、私はいつもすぐに駆けつけることができません。それが、海外で暮らす上で一番辛いことです。
今回の出来事をきっかけに、心の中にあることを少しずつ言葉にしていこうと思いました。
そんな日々の気づきや想いを、このブログで綴っていけたらと願っています。
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