日本を訪れて思うこと

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日本を訪れて思うこと

日本を訪れて毎回思うのは、「本当に物であふれている国だな」ということです。
都内を歩けば、数分おきにコンビニが現れます。中に入ると、目移りするほどの種類のお菓子やドリンクが並び、お弁当やお惣菜も充実。欲しいものは大抵ここで手に入ります。改めて、日本はすごい競争社会だなと感じます。

サービスも豊富で、最近ではセルフレジが導入されていたり、その横にはお箸やスプーンが丁寧に並べられていたり。
海外ではなかなかこうはいきません。お箸どころか、フォークすら探すのに苦労することもあります。もちろん、ティラミス味のプリンやチョコミントアイスなんて夢のまた夢。

だからこそ、日本に旅行すると、コンビニ一つでも楽しくてついつい長居してしまいます。


便利さの裏側

便利すぎる社会だからこそ、メーカーは次々と新商品を開発し、マーケティングに膨大なコストをかけて競争しています。
その結果、「月島もんじゃ焼き海鮮味のからあげクン」なんていう、もはや誰に向けたのか分からないような商品も生まれるわけです。

でもふと考えます。もし最初から「ないのが当たり前」の社会に育っていたら、どう感じるのでしょうか。

  • スプーンは家に帰らないと手に入らない
  • アイスを食べたい日は、数km先のアイス屋さんまで足を運ぶ
  • ビールはリカーストアでしか買えない
  • 夜中にお腹が空いても、24時間営業の牛丼屋はない

日本では、こういったことがコンビニやファストフードで簡単に、しかも安く手に入ります。
本当に、便利な世の中です。


「便利」がストレスになることもある

ただ一方で、便利すぎることがストレスを生むこともあると思います。
人間の欲求には終わりがないからこそ、「あるのが当たり前」で育った人は、欲しいものが“今この瞬間”に手に入らないと、それがストレスになるのかもしれません。

たとえば、酔い止めを切らしていて、高速バスに乗る前にコンビニに寄ったけど見つからなかったとき。
「どうしよう、バスの時間もあるし、薬局は遠いし……」と焦ってしまう。

「どうせコンビニで買えるし」という油断が、結果として焦りや苛立ちに変わってしまうのです。

一方で、「すぐに手に入らないのが当たり前」の環境で暮らしていれば、そもそもコンビニでの購入をあてにすること自体がなく、「準備していなかった自分が悪い」と納得しやすい。
感じるストレスの大きさに、育った環境が影響しているのだと思います。


ありがたさに気づく心

日本の便利さ、ものづくりの丁寧さは本当に素晴らしいと、訪れるたびに実感します。
でも、あまりにそれが当たり前になっていると、ちょっとした例外に強く反応してしまう。

電車が数分遅れただけでイライラしてしまったり、少し対応が雑な店員さんにがっかりしてしまったり。

でもそれって、本来なら感謝すべきレベルのサービスだったりするんですよね。
電車が3分おきに、時間通りに来る。毎回袋にお箸やスプーンをつけてくれる。
こういうことって、本当は“特別なこと”のはずなのに、それに気づきにくくなってしまっている。


海外で得た気づき

海外にいると、人々の雰囲気がとてもリラックスしているのを感じます。
もしかすると、それは「ないことが当たり前」の環境だからこその、心の余裕なのかもしれません。

日本の便利さがどれだけありがたいか、そしてそれに甘えすぎるとどれだけストレスが増えるか。
この感覚は、きっと日本だけで暮らしていたら気づけなかったことだと思います。

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