人は役割を与えられた瞬間、その役割になりきり、その役割を全うしようとする。
最近そのことを、妙に強く実感する出来事がありました。

ラスベガスのCESで目撃した、不思議な光景
先日、ラスベガスで開催されたCES(世界最大級のテクノロジーカンファレンス)に行ってきました。
日本で勤めていた会社の元上司が「見に行くから、通訳として一緒にどう?」と声をかけてくれたのです。
会社を辞めて5年以上経った今も覚えていてくれて、こうして連絡をくれる人とのつながりに、改めて感謝しています。
日本から参加したメンバーは元上司を含め計10名。全員が部長クラス以上という、私にとっては「雲の上の存在」たちです。(笑)
総勢12名の大所帯だったので、2グループに分かれてブースを見て回ることになりました。
さすが日本の大企業、何時にどこを見るかまで計画がしっかり組まれています。
各チームにはきちんとリーダー役が設けられていました。

ここで面白いことが起きました。
各チームのメンバーは全員、普段は自分がリーダーとして活躍している部長クラスの人たちです。
ですが、「リーダー以外のメンバー」という役割を与えられた瞬間、彼らはリーダーの指示にただ従い、地図や日程表を自分で確認することもなく、ただ展示を見て回るだけになっていたのです。
普段はリーダーシップを発揮しているような人たちでも、違う役割を与えられると、その役割に徹するのだな、と。
私自身も、もしあの場に「元社員」として参加していたら、部長クラスの人たちを前に委縮して、普段ほど話せなかったかもしれません。(私は常にとってもおしゃべりです。笑)
でも今回は「通訳」という立場だったので、役職を気にせず普段通りに皆と話せました。役割ってすごいな、と思いました。
ダウントン・アビーが描く「役割社会」と日本
最近、Netflixで『ダウントン・アビー』というドラマを見始めました。
20世紀初頭(1912年〜)のイギリス・ヨークシャーを舞台に、伯爵家の貴族たちと彼らに仕える使用人たちの人間関係や相続問題を描いた作品です。
このドラマの中では、役割というものが非常に厳格に定められています。
屋敷に住む貴族たちは自分で上着を脱ぐこともなければ、カフスを自分で選ぶこともない。
なぜなら、それは執事の仕事だから。紅茶を飲みたいと思えば自然と運ばれてくるし、ベッドシーツを自分で替えることなどあり得ない。
「紳士・婦人は仕事をしないものだ」という台詞がそのまま出てくるのですが、それがその人たちの役割だから、ということなのです。
見ていて思ったのが、これ、日本社会にすごく似ているなということ。
目上の人への話し方、上下関係のはっきりした構造、役割の範囲内で動くことの当然視——どこか重なるものがあります。
もちろん時代も国も違いますが、「役割に忠実であること」が美徳とされる感覚は共通しているような気がします。
「とにかく働け」の時代は、もう終わりかけている
一方で現代は、上下関係に関係なくオープンにアイデアを出し合い、クリエイティブに仕事をすることがより重要になってきました。
長時間働いて成果を出すスタイルは古くなりつつあり、「短い時間でどれだけ成果を出せるか」にフォーカスが移ってきています。
私は日本の大企業で数年働いた経験があるので、これはすごくリアルに感じます。
当時は毎朝1〜2時間の朝会の議事録を取り、夜中の11時にはほぼ暗記してしまっている100以上の項目のチェックリストを眠い頭で埋めて帰る、という毎日でした。
これに何の意味があるんだろう? 眠い頭で作った製品のクオリティって、本当にいいんだろうか?
そう思いながらも、やらなければならなかったのでただやるだけでした。
問題が起きるたびに反省文を書かされ、チェックリストが増えていく。
向上心があって「この会社を変えたい」と思っていた若手は確かにいたと思います。
しかし、上から「セキュリティは大丈夫なの?今のやり方に何か問題があるの?」などと反対意見をぶつけられ続けるうちに疲弊してしまい、気づけば皆と同じようにただ作業をこなすだけになっていってしまう。
そんな人をたくさん見てきました。
変えることができないと悟った若手から、どんどん辞めていったのも事実です。
「それは自分の仕事じゃない」——スタートアップで見た景色
現在私は、社員20人にも満たない小さなスタートアップで働いています。
専任のテスターがいないため、オペレーションチームもビジネスチームも、みんなで製品のテストをしなければならない環境です。
ある日、営業の同僚がこう言いました。
「まだバグが残っている。テスターチームはちゃんと仕事をしているのか」と。
それを聞いたビジネスマネージャーが答えました。「うちにテスターチームなどいない。営業の君も率先してテストをするべきでは?」と。
すると彼は言ったのです。「それは自分の仕事ではない」と。
正直に言うと、この人はスタートアップには向いていないな、と思いました。
役割が曖昧なスタートアップでは、与えられた仕事の範囲内だけをこなすスタイルは機能しません。
自分で問題を見つけ、動き、発言しないと「何も考えていない人」だと思われてしまう。
でも私はそのスタイルの方が、ただ作業をこなすだけより楽しいと感じています。
考える余地があるし、自分の意見が形になっていく実感があるからです。
役割を全うすることと、役割を超えること
役割にはまることは、確かに人生を「イージーモード」にしてくれます。
何をすればいいか明確で、逸脱する必要がない。それは楽だし、決して悪いことでもない。
でも、これからもっといろんな場面で活躍していきたいと思うなら、役割を超えて動ける力が必要になってくるのだろうな、と今は思っています。
変化の激しい社会の中で、変われない組織はどんどん時代に取り残されていく。それは組織だけの話ではなく、個人にも同じことが言えると思うのです。
CESで部長たちが「メンバー」になっていく様子を見ながら、そしてダウントン・アビーの執事が完璧に自分の役割を果たしていく姿を見ながら、私はそんなことをぼんやり考えていました。
……ちなみにダウントン・アビー、めちゃくちゃ面白いので気になる人はぜひ。役割について考えながら見ると、また違った視点で楽しめますよ。(笑)



コメント