カナダ国籍を取るか、日本国籍を守るか——バンクーバー6年半の私が考える多重国籍のこと

雨のバンクーバーで地図を眺める女性 海外と日本文化

私はカナダのバンクーバーに住んで、気づけば6年半が経ちました。

夏は最高に素敵な街なのですが、冬は雨、雨、また雨。青い空を見るのが珍しいほど曇り続ける季節が半年近く続きます。(笑)加えてここ数年で物価と家賃がどんどん高騰し、「生活費の高い都市ランキング」の常連になってしまいました。

そんなバンクーバーを、そろそろ出ようかと考えはじめています。アイルランド人の彼と一緒に将来の生活基盤を考えたとき、この街だけにこだわる理由が少しずつ薄れてきたのです。医療機関のアクセスも課題で、専門医に診てもらうまでの待ち時間がとにかく長い。そういったいくつかの理由が重なって、「次の街へ」という気持ちが芽生えてきました。そこで向き合うことになったのが、日本の「二重国籍」をめぐる問題です。

永住権があっても、長く離れるとリスクがある

私はすでにカナダの永住権を持っています。ただし永住権には条件があり、5年間のうち730日以上(約2年)をカナダに居住していることが求められます。数年間カナダを離れて暮らすとなると、この条件を満たせず永住権を失うリスクが生じます。

そこで浮かんだ選択肢が、カナダの国籍を取得することでした。国籍を持ってしまえば、何年離れていてもカナダに戻ってくることができます。「いざとなればカナダに帰れる」という安心感は、海外を拠点に生きていくうえでとても大きいのです。

ただし、ここで大きな壁があります。日本は原則として多重国籍(二重国籍)を認めていないのです。

日本はなぜ二重国籍(多重国籍)を認めないのか——公式の理由と、私が思う矛盾

日本政府が多重国籍を認めない主な理由は以下の通りです。

① 外交的保護権の競合

複数の国が「自国民を保護する権利」を主張した場合、どちらの国が保護するのかで外交摩擦が起きる可能性がある、というものです。

ですが、これには逆の見方もできます。2023年のイスラエル・ハマス紛争でも、二重国籍者が被害に遭った際に複数の国が保護に動いた事例がありました。複数の国が一人の人間を守ろうとする方が、むしろその個人にとっては有利なのではないでしょうか。さらに言えば、日本政府が知らないうちに国民が外国籍を取得していた場合、いざ海外で事件に巻き込まれたときに政府の初動が遅れる——という問題の方が、実は深刻かもしれません。

② 婚姻など身分関係の混乱

複数国で別々に身分登録されることで、婚姻関係などが複雑になる可能性がある、というものです。

ただ現代では国際結婚や事実婚など、家族の形はすでに多様化しています。二重国籍による問題よりも、国際間の戸籍・身分管理の仕組みを整備する方向で解決できる話ではないかと思うのです。

③ 兵役や納税など義務の重複

複数の国から兵役義務や課税が発生する可能性があるという点も、かつては懸念材料とされていました。

これについては現実的に考えてみると、海外に住んでいる場合はその国で納税しているため、日本の住民登録も抜いている人がほとんどです。日本に住んでいなければ日本の国民健康保険にも加入できませんし、選挙のためだけに日本まで戻ることも現実的ではありません。「複数の国のベネフィットだけをいいとこ取りする」なんて都合のよいことは、実際にはほとんどできない仕組みになっています。

そもそも現行の多重国籍禁止の規定は、兵役義務があった明治時代の法律の考え方を引きずっているものだという見方があります。令和の時代に、明治時代の前提をそのまま引き継ぐことが合理的なのか——そこは率直に疑問です。

ちなみに、日本が多重国籍を禁止しているとはいえ、実は法的な罰則はなく、現実には数十万人規模の多重国籍者が存在しているとも言われています。制度と現実の間に大きなギャップがあるのが今の状態です。(法律はあるけど守られていない、というのはなんとも日本らしい気もします。笑)

日本国籍を手放すことのデメリット

カナダ国籍を取得するということは、日本国籍を失うということを意味します。では、それによって何が変わるのでしょうか。

日本に長期間住んで働きたい場合は、ビザが必要になります。正直、日本の労働環境に疲れてしまった私が近い将来また日本で働きたいと思うかというと……あまりイメージが湧きません。(笑)

年に一度ほど帰省しているのですが、カナダ国籍でも観光としての入国はできるので、その点はそこまで問題ではないかもしれません。

ただ、一つだけ気になる点があります。パンデミックのような非常事態が起きて、外国人の入国が制限される事態になったときです。家族に何かあっても、外国人として扱われてしまう場合、帰国できなくなる可能性があります。コロナ禍では実際にそういったことが起き、外国籍を持つ「元日本人」たちが家族に会えない思いをしました。その時の苦しさを想像すると、胸が痛くなります。

日本で女性として生きることへの疑問

国籍の話とは少し離れますが、私が日本に帰るイメージがなかなか湧かないもう一つの理由として、女性としての生きやすさの違いがあります。

日本に住んでいた頃は「これが当たり前」と思っていたことが、カナダに来てから当たり前ではなかったと気づくことがたくさんありました。小学生の頃から「痴漢に遭わないために女性側が気をつけるべき」という教育を受けてきましたが、明らかにおかしい話です。嫌だと思うことをした側が悪いのに、なぜか女性が自分を責め、声を上げることができない文化が根づいている。これは今も変わりきっていないと思います。

カナダでは、好きな服を着て、暑ければ肌を出して、特に誰かの目を気にすることなく外を歩けます。女性に対するリスペクトが、日本とは全く違うレベルで日常に存在していると感じます。いろいろな国の人が共存しているカナダだからこそ、リスペクトなしには社会が成り立たないのかもしれません。

最近、一緒に茶道を習っている知人——日本に1年ほど住んでみた日本人女性——から聞いた話も印象的でした。「日本の職場では、自分を犠牲にすることが当たり前すぎて、そこにいる人たちはもはや犠牲にしているという感覚すらない」と。彼女は最終的に「退職後に日本に帰るのがいいかもしれない」と言っていました。私もその感覚、すごくよく分かります。

日本で朝8時半から夜11時過ぎまで働いていた頃の生活には、もう戻れない気がします。今の方が、体も心も健康です。30代半ばに差し掛かろうとしている今、20代の頃より健康だと感じているのですから、これはもう環境の違いとしか言いようがない。

それでも、日本は私の「故郷」のひとつ

こんなにいろいろと書いてしまいましたが、日本が嫌いなわけでは全くありません。コンビニ、医療制度、インフラのきめ細やかさ——日本のシステムが恋しくなることは今もたくさんあります。茶道を続けているのも、日本文化への愛着があるからです。

栃木で生まれ、東京に8年住み、バンクーバーに6年半。カナダもすでに、私にとってそういう場所になりました。

最近『宇宙兄弟』を読み返していたのですが、六太と日々人のお父さんが「故郷は増えてもいいし、変わってもいい」というようなことを言っていて、思わず手が止まりました。まさに私が感じていたことだったからです。

一度馴染みを持った場所は、もうすでに自分の故郷。故郷がいくつあってもいいし、それはとても素敵なことだと思うのです。故郷が増えるということは、それだけ愛情を注げる街が増えるということ。その街の文化や人、空気感、自分が好きだったところは、どこに住むことになってもずっと忘れたくありません。

だからこそ、国籍という制度に縛られて「あなたはもう日本人ではない」と言われることへの違和感が拭えないのです。日本で生まれ育ち、日本語で考え、日本文化を体に持ちながら、単に仕事や生活の都合で海外に住んでいる人間を、国籍ひとつで「外国人」にしてしまうのはやはり少し横暴に感じます。

法律はすぐには変わらないと思います。でも、こうして海外に出て、自分の目で世界を見てきた人間がどんどん増えていく中で、いつかこの議論がもっとオープンになっていく日が来てほしいと、心から思っています。

そして私は今日も、雨のバンクーバーで次の街への地図を眺めながら、どこに行っても「私」であり続けるのだろうなと思っています。国籍が何であれ、それだけは変わりません。

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